兵庫県立美術館のショパン展に行ってきました。
空いていたのでじっくりゆっくり観て回れたし、とても楽しかったです。
ツッコミどころとしては、
・『AC/DC聴きながら描いたショパンの肖像』が完全に落書きだし、
つーかその情報いる?w
・居酒屋『有り金すべて』(←)
・音声ガイドに流れる曲を含む、館内数カ所で流れるBGM同士が混ざって聞こえて、
耳が気持ち悪い・・・( ;´Д`)
でも、直筆の楽譜にはやっぱりぐっとくるものがあった。
200年前の音楽情報が残ってるなんて本当に素晴らしい。
もともと絵画的・視覚的に美しいと感じるくらい楽譜を眺めるのが好きなので、
直筆楽譜だったり、日本の明治の古い印刷楽譜だったりは、特にぐっときちゃうなあ。
解読できない乱雑な楽譜を書く作曲家もいるなか、
ショパンは綺麗に書き込んでくれているほうだなあと思ったけど、
ちゃんと印刷して後世に残してくれた出版社もっと万歳!と思った。
あと、ショパン国際コンクールの展示あたり、印象的な中村紘子さんの言葉。
「ショパンが弾けたらバッハは弾ける。が、その逆は無い」(意訳)
あたしはバッハがとても苦手だったけど、ショパンもたいして通らなかった。
大人になるにつれ、音楽を好きになるにつれ、
自分はクラシックピアノの、実は「まだまだ初歩」で終わってしまっていたのだなあと痛感する。
まったく残念なことをしたなあ。。。
もし今からでもまた「音楽の習い事(お稽古)」に通うなら、ボイトレよりギターより、ピアノを選びたいなと思ったりするけど、
あたしのピアノの師匠はもう何年も前に引退してしまった。
今なら話せることや、聞きたいこと、いっぱいあるのになあと思う。
音楽を知るほどに自分の技量の無さを嘆いてしまうような逃げを、
正面から向き合っては何時間も没頭して弾いたり、
逆に放り投げて埃をかぶせてしまうような、そんな極端な繰り返しの日々に、
自分の本当に足りないところを知らされるのだ。
だけど、
YESかNOを選べと詰問されたら間違いなく「手離したくない」と叫ぶであろう、自分のルーツを作ってくれたピアノだ。
あたしの頭の中だけに鳴っていたものを、音楽にしてくれるから。
また練習してみようと思う。
200年前にも奏でられた音楽を、曲がりなりにも弾き継ぐことができるなんて、
音楽人生の喜びそのものだなと思う。
ショパンの夢が何であったかなんて知る由もないが、
自分の音楽が愛されること、
誰かがその魂を受け継いでくれること、
それはきっと、
200年前でも嬉しかったと思うから。