ネタバレできませんでしたので、ようやくさかのぼって書けます!
劇団赤鬼、無観客配信公演「EDIH CU AHINO(エディチュアヒーノ)」初日、ありがとうございました!!
あたしはお芝居の後に音楽ゲストとして出演する予定らしい。
15分ほどの持ち時間ならば、とにかく2曲くらい唄うんだろうと思って、ギターを背負ってチキンジョージに行きました。
ぶっちゃけ、何がどうなるやらまったく知らされずに「白い服を着て来てください」の意味がここに!!!
この時点で、あたしは本編のストーリーをまったく知りません。
にわとり、ならぬ、にわちぇり。
この日は初日なので、現場の緊張感もただならぬ雰囲気です。
無観客配信とはいえ、ものすごい機材の数々、赤鬼スタッフさん、撮影スタッフさん、
そして久しぶりに会ったチキンスタッフの皆さん、、、、
この場所はライブハウス。
赤鬼さんとしても経験したことのない「小屋」ならば、あたしのほうがチキンジョージの出演経験は多いだろう。
Cheri*としてはホームなのかアウェーなのかわからない不思議な感覚。
でも、この日、ここは、「芝居小屋」でした。
「観客を集められないからそのまま配信でやります」ではなく、「配信だからこそできる挑戦を」
5月下旬にやった、劇団赤鬼・川浪ナミヲさんとの朗読劇の配信で、出てきたキーワードでもあります。
大切なものへの深い愛情、
自分の感性を否定されてしまったときの悲しみ、
自信が持てなくなったときの虚無感、
理解してもらえない寂しさ、
そして、
自分が守りたいもの、
できれば誰かにも同じように大切にしてほしいものに気づき、
自分がそれとちゃんと繋がっていることに気づく。
いつかどこかで出会ってくれるはずの、まだ見ぬ「友だち」。
心を込めて、粛々と、良いものを作り続ける、お話。
そうやって、表現し続ける。
そうやって、発信し続ける。
ステージに立つひとたちは、その命を燃やす人間がいるから築き上げられると思うのです。
そこに、観てくださるかたが時間を(それは命だと思っているのだけれど)分けてくださることで、成立するコニュミケーションこそがライブだと思うのです。
生のお芝居と、撮影した映像との融合。
配信ならではの挑戦。
素晴らしいと思ったのは、誰も諦めていなかったこと。
劇団、俳優、舞台、音楽、音響、照明、撮影、場所、、、
各個人を構成する要素を、なにひとつ諦めていなかったこと。
関わったひとたち全員が、当たり前のように作品の一部になっていて、
どれが欠けても成立しなかったということ。
そして、みんなが、生きようとしていたこと。
そこに生きてる。
そこに命がある。
ステージの、底に、命。
Cheri*は、
「流星群」と「kisuiiki」を唄いました。
あいだには、初めて「シリウス」の曲をライブで唄ったりしながら。
公演が終わってから、YouTubeで打ち上げ配信がありました。
アーカイブはこちらです。
Cheri*が登場するのは13分頃から!(酔っ払ってるよ!)
最終日にはWAKKUN(涌嶋克己)さんも観劇されてました。
久しぶりにお顔を拝見しました。
神戸人なら知らないひとはいないだろうと思うイラストレーターです。
そして、
和太鼓は生で感じたい!と思って、現場で観させていただいた千秋楽。
千秋楽の打ち上げ配信にもちょこっとお邪魔しました。
Cheri*が登場するのは1時間15分頃から!(もっと酔っ払ってるよ!!!)
自分にできることと、自分のやりたいこと、その成長曲線は年々反比例を描くばかりだ。
でも音楽に貪欲でありたい。
好きなものは限りなく飽くことなく、
自分の知らない音楽、自分にできない音楽に出会うたび、
今でも好奇心でどきどきニヤニヤする自分を見失ったりしたくない。
もう限界かもしれない。
自分は負け組なのかもしれない。
他人が幸せそうで羨ましい。
この先、どうなるんだろう。
逃げたら楽だろうな。
だけど、この世でたった一人の自分だと教えてほしい。
。。。
人間はいつだって煩悩の塊だ。
「EDIH CU AHINO」
逆境だって試練だって、いつだって闘うのは自分自身と、だ。
いつだって鬼は内に巣食うのだし、
人間は鬼と共闘しながら生きるものなのだ。
「オニハウチデ」
* * * * *
くしくも黒人差別解放の機運が高まっている昨今。
自由や平和を勝ち取るために生きたジョージの物語のようだ。
* * * * *
本当かどうかはわかりませんが、
昔、「神の使いが天使ならば、仏の使いが鬼だ」という話を聞いたことがあります。
人間と、人間を超越するものの、その橋渡しとして「鬼」が存在するのならば、
心の真理を突いているような気がしてならない、
そんな素敵なお話でした。
Cheri*として関わることができて幸せでした。
ありがとうございました!!!