背中を押してもらったのだ。
人にかけられた呪いは、
自分の祈りで、
もっと強い祈りで塗り替えていくと決めた。
そんなタイミングだったから感謝しかない。
昔から音楽と同じく言葉にも興味を持っていたから、
唄を創ることは、あたしの性格も人生もすべて内包していると思う。
言霊を信じる。
背中を押してもらったのだ。
人にかけられた呪いは、
自分の祈りで、
もっと強い祈りで塗り替えていくと決めた。
そんなタイミングだったから感謝しかない。
昔から音楽と同じく言葉にも興味を持っていたから、
唄を創ることは、あたしの性格も人生もすべて内包していると思う。
言霊を信じる。
やっと初詣に行ってきました!
お昼から山道を登り、とあるお寺へ。
初めて行く場所でしたが、とても静かで気持ちがさっぱりする時間を過ごしました。
そのあと立ち寄ったジャズ喫茶ではさらに心地よい時間を過ごすことができました。
いったん行き過ぎたけど、わざわざ戻って、探して行ってみた価値がありました。
ジャズミュージシャンであるマスターのお話を聞いて、あたしの音楽脳が超満たされてる。
お庭の看板犬にも和む。
シエスタ。
夕方からは神社に出向いてみました。
毎年恒例の絵馬に、「祈願」というよりは「自分への宣言」を書いてきました。
雑念なく、真っ直ぐに、今の自分に向き合った言葉を選んで、書いてきました。
おかげでまっさらな気分になったようで、清々しい。
おみくじは吉でした♪
昨年「出て行ったもの」と、新年に「手に入れたもの」のちょっとした偶然に、びっくりしたような、妙に納得したような気持ちになりました。
これをセレンディピティっていうのですかね。
これについては後ほどメルマガにでも少し書き残しておこうかな、と思います。
いろんなことを吸収できた良い一日でした。
良い休日。
改めて、今年もよろしくお願い致します!
皆様にとっても笑顔溢れる1年になりますように!!
兵庫県立美術館のショパン展に行ってきました。
空いていたのでじっくりゆっくり観て回れたし、とても楽しかったです。
ツッコミどころとしては、
・『AC/DC聴きながら描いたショパンの肖像』が完全に落書きだし、
つーかその情報いる?w
・居酒屋『有り金すべて』(←)
・音声ガイドに流れる曲を含む、館内数カ所で流れるBGM同士が混ざって聞こえて、
耳が気持ち悪い・・・( ;´Д`)
でも、直筆の楽譜にはやっぱりぐっとくるものがあった。
200年前の音楽情報が残ってるなんて本当に素晴らしい。
もともと絵画的・視覚的に美しいと感じるくらい楽譜を眺めるのが好きなので、
直筆楽譜だったり、日本の明治の古い印刷楽譜だったりは、特にぐっときちゃうなあ。
解読できない乱雑な楽譜を書く作曲家もいるなか、
ショパンは綺麗に書き込んでくれているほうだなあと思ったけど、
ちゃんと印刷して後世に残してくれた出版社もっと万歳!と思った。
あと、ショパン国際コンクールの展示あたり、印象的な中村紘子さんの言葉。
「ショパンが弾けたらバッハは弾ける。が、その逆は無い」(意訳)
あたしはバッハがとても苦手だったけど、ショパンもたいして通らなかった。
大人になるにつれ、音楽を好きになるにつれ、
自分はクラシックピアノの、実は「まだまだ初歩」で終わってしまっていたのだなあと痛感する。
まったく残念なことをしたなあ。。。
もし今からでもまた「音楽の習い事(お稽古)」に通うなら、ボイトレよりギターより、ピアノを選びたいなと思ったりするけど、
あたしのピアノの師匠はもう何年も前に引退してしまった。
今なら話せることや、聞きたいこと、いっぱいあるのになあと思う。
音楽を知るほどに自分の技量の無さを嘆いてしまうような逃げを、
正面から向き合っては何時間も没頭して弾いたり、
逆に放り投げて埃をかぶせてしまうような、そんな極端な繰り返しの日々に、
自分の本当に足りないところを知らされるのだ。
だけど、
YESかNOを選べと詰問されたら間違いなく「手離したくない」と叫ぶであろう、自分のルーツを作ってくれたピアノだ。
あたしの頭の中だけに鳴っていたものを、音楽にしてくれるから。
また練習してみようと思う。
200年前にも奏でられた音楽を、曲がりなりにも弾き継ぐことができるなんて、
音楽人生の喜びそのものだなと思う。
ショパンの夢が何であったかなんて知る由もないが、
自分の音楽が愛されること、
誰かがその魂を受け継いでくれること、
それはきっと、
200年前でも嬉しかったと思うから。